異国にて

 高杉は伸ばした手をつい、引っ込めてしまった。筋張った指が、奇妙な形で枕元に落ち着く。つりあがった目はだらしない様子で目前の女を視界に入れた。
 狭いセミダブルのベッドの上で、もぞり動く。少し捩っただけで、隣で眠っている女――{{ kanjiName }}の身体に当たる。彼女は、サーヴァント・高杉晋作のマスターだった。
 サーヴァントとして現界した高杉は、生前とは比べ物にならぬほどの背丈だった。自然、腕も長い。
 運命が高杉の不運を憐れんだのか、はたまた霊基をいじられたのか。そのあたりは定かではないが、この身体を彼はまあまあ気に入っていた。何より顔が良い。完璧と言って良かった。……ひ弱なところを除けば。

「君は、幸せ者だな。面白くない」

 静寂を割くような声は、高杉の喉元からゆったりとこぼれ落ちた蜜のような甘さを伴っていた。けれど、{{ kanjiName }}は相変わらず健やかな寝息を立てている。薄っすら紫色に染まった目元が、彼女の眠りをより尊いものに見せた。
 高杉は呆れたように息をこぼしながら、中途半端なところで止まっていた手で己の髪を解いた。
 薄桃の髪が、真白のベッドを染める。凍てついた池の表面に、桃の花が散るような様だ。しかし、{{ kanjiName }}はその姿を見ない。夢の中に居る。
 {{ kanjiName }}はか弱いマスターだった。自由にさせている方がよほど能力を発揮するタイプである高杉が、彼女の身を案じ行動範囲を狭めているほどには。

「{{ kanjiName }}」

 名前を呼び、今度こそ手を伸ばす。
 耳の後ろを人差し指で撫でてやってから耳朶を緩く掴めば、華奢な肩が密やかに上下した。
 {{ kanjiName }}の命まで手中に在るかのような錯覚に陥りそうになりながら、高杉はつい喉の奥で笑う。愉しくもない、何の面白みもない。なのに、自然と喉が震えて笑いが出た。

「……アーチャー?起きてるの?」

 微睡の中から這い出すような、声だった。高杉は取り繕うでもなく、{{ kanjiName }}に触れた手を離すでもなく、華奢な首筋をするりと撫でる。
 {{ kanjiName }}は眩しそうに眉根を顰めて「アーチャー。答えて」胸元のボタンを一つ外し鎖骨の真ん中に浮かんだ令呪の痕を高杉に向けた。
 高杉は瞬きばかりの間ひどく冷えた目をしたが、すぐに狐が如く目元を細め

「怖い顔をするなよ。僕好みの顔が台無しだ」

 ふざけた枕詞を口にした。むっつりと黙りこくっている{{ kanjiName }}の髪を梳き、緩く笑う。

「聖杯戦争は夜が本番、だろ?見張りくらいはするさ」
「そう?ありがとう、でいいのよね。髪を下ろしてしまっているから、やる気がなくなってしまったのかと思ったわ」
「嫌だな。こっちのが好きだって言ったのは、君じゃないか」
「覚えていたのね。嬉しい……召喚に応じてくれたのが、あなたで良かった」

 ぼそりと、付け足された台詞。それはあまりにも、あまりにも、高杉にとって不運だった。
 つい、彼女とかつての自分を重ねてしまうのだ。
 力を持ち生まれながら、身体が自由を許さない。それでも追い求めてしまった夢の先に、高杉がいた。
 {{ kanjiName }}もまた、高杉と自身を重ねている節があった。
 ――共依存か。共倒れにならなければ良いが。
 肩入れし過ぎると、厄介だ。感情が行動を後押しするなんてあってはならない。
 そうなったら終いだとさえ思うのに、高杉の手は{{ kanjiName }}の頭を優しく撫でた後、背に回してそのまま、抱き寄せた。
 衣擦れの音が止んで、胸元で自分を呼ぶ{{ kanjiName }}の声がして、視線を落として、高杉は初めて彼女に嘘を吐いた。

「こうしている方が、マスター君を護りやすいはずだ。そうだろ?」
「屁理屈のようだけど……そうね、間違ってはいないわ」

2023/12/10