火花に晩夏の夢を見る#1

 じりじり焦げ付くような夏の陽。近付いた夕暮れに負けじと吹く風は温く、汗を冷やすほどの力はなかった。
 日本の夏は高温多湿と言うけれど、最早ここまでとは。秋口のゆるやかな冷風を恋しく思いながら、束の間の夏にため息を零していた。
 ――ここは極小特異点、昭和後期の日本。放っておけば消滅してしまうような特異点。ここに藤丸さんのフォローで赴いたは良かったが、到着早々はぐれてしまった。
 一人じゃないだけマシだと言いたいところだけれど、一緒に逸れた相手に問題があった。
 夏の日の縁側。足元まで伸びた軒先の影にすっぽり覆われた二つの影。一つは私、一つは一緒にはぐれてしまった高杉さんだ。
 高杉さんは、私で遊ぶのが好きだ。おもちゃか何かと勘違いしているようで、よく揶揄われる。
 その高杉さんはといえば、派手な着物はそのままに砂利道の続く庭を眺めては暑いと零していた。

「しかし暑いな。暑い。酒盛りをする気力も失せるな、このじめっとした暑さは」
「こうやって日影で涼んでるのが一番じゃないですか?日が落ちたら、冷酒でも呑もうよ。確か、冷蔵庫にあったと思う」

 田舎道でヤンキーに絡まれていたお婆さんを助けた。
 その縁で、この古民家をお借りできたし家にあるものは好きにしていいと言ってもらった。
 カルデアとの通信が回復するまでどうしたものかと頭を抱えていたから願ってもない申し出だった。

「ああ、そうだな。ところで{{ kanjiName }}君は、あっと驚く涼のとりかたというやつを知っているか?」

 突然また何を言い出すんだろうか、この人は。
 涼む方法なんて、日影に入るかキンキンに冷やした酒か、あとはまあ頭痛を承知でカキ氷を食べるくらいでしょう。他にといえば……怪談とか?
 でも、まだ陽のあるうちから蝋燭を囲んだって暑いだけだ。それに高杉さんのことだからもっと突拍子もないことに決まっている。
 一体何だろう?うーん、と首を捻ってみたものの、頭がじんわり熱を帯びただけで答えは出なかった。

「……ダメ、考えたら余計に暑くなりました」
「中らずと雖も遠からずだな。存外近い答えを出してくるじゃないか」

 ふっと高杉さんへ目を向けると、意外だと言わんばかりに目を丸くしていた。美しい朱色の瞳と視線がぶつかって、つい目をそらしてしまう。

「どこがですか?なんにも、答えなんて出してないし、」
「なに、そう難しいことじゃないさ。体温が上がれば、少しは涼しくなるだろう?温度差ってやつだ――というわけで」

 そう言い切った後に、衣擦れの音が続いた。高杉さんとの間にあった空白は埋められ、床に突いていた手に高杉さんの手の平が重ねられる。
 じわり、熱を帯びる手の甲。ほとんど反射的に高杉さんへと視線をやれば、そこには私を覗き込む意地の悪い顔があった。

「高杉さん!!」
「君の百面相は面白くていい。面白ついでに、そうだな。接吻でもしてみるか?」

 突拍子がないにもほどがある。自分勝手というか、後先も私の気持ちも何も考えてないというか、いえ、彼は思慮深い人だからあえてこうやって遊んでいるのかもしれないけど。
 つい眉根を顰めて、高杉さんを睨み付ける。白い肌にたらりと滑る汗に、脈が速まるのを感じながら、流されないように流されないようにと声に怒気を混ぜて抵抗した。

「私は高杉さんと違って、その、清純だからしません!」
「ケチくさいな。減るもんじゃないだろ?」

 あちらの方を向いたのに、高杉さんはお構いなしに距離を詰めてくる。筋張った手が私の肩を抱く。
 生ぬるい体温が布越しに伝って、首筋が汗たれた。身体の中にこもった熱が沸き上がってくるようで気持ちが悪い。
 どうにかして引き剥がそうと、焼けそうな顔を高杉さんへと戻し、その一見華奢な鎖骨あたりを両手で押した。
 でも、ダメ。全然ダメ!目一杯の力で押したつもりだけど、びくともしない。

「そういうことじゃないんです!それに、その、高杉さんは平気かもしれないけど、私はあんまり……」
「平気だって?そう見えているなら、君の目は節穴だな」

 鼻で笑うと、高杉さんは呆れたような目で私を見た。
 赤い椿のような瞳に、橙の夕陽が混ざる。瞬きすら許さない。そう言いたげな強い眼差しに射抜かれて、つい生唾を呑み込んだ。
 どくりと、心臓が濁った音を立てた、気がした。

「ふっ、なんだ、君。そう硬くなるなよ。いつものように返してくれよ。調子が狂うじゃないか」
「高杉さんこそ、いつもより距離近くないですか?」
「気のせいだろ。そんなことより、どうだ?少しは涼しくなったろう」

 肩を抱いていた細い指が、ぱっと離れた。高杉さんの熱が遠退いて、縁側に布の擦れる音だけが静かに響く。
 ほっと胸を撫で下ろすような心地で「多少は」ぱたぱたと両手で顔を扇いでいたら、勝手口の方から昼間のお婆さんの声がした。立ち上がり向かおうとしたのだけど、高杉さんに止められてしまう。

「僕が行く」
「いいですよ、私が……」
「僕が相手をしている間に、君はその顔を何とかしたまえ。タコみたいだぞ。晴れの日でもないのにな」

 高杉さんが視線だけをこちらへ寄越し、にやりと笑う。
 ああ、もう、もう!晴れの日なんて、何が言いたいのかさっぱりわからなかったけど、あの顔は揶揄っている時のそれだ。

「……お願いします」
「ああ、任せたまえ。こう見えて、年配の女性には好かれるんだ」

 両手で顔を覆俯いた。返ってきた答えは若干ずれていたけれど、高杉さんは胡散臭いわりに人当たりは良いからそう心配することもないだろう。
 高杉さんが戻ってくるまでに、少しでも熱を冷まさなくちゃ。
 汗で濡れているであろう首筋に、指先で触れた。けれど、そこに熱はなく、濡れてもいない。夕方の風に攫われてしまったのだろうか。
 顔を上げると、青々とした山が連なっていた。その中に、鴉の鳴き声が混ざっている。

2023/09/03