朝焼けの先で奪って

 煙草の匂いにも、ようやく慣れてきた。すんすんとわざとらしく鼻を鳴らして、縁側に影を二つ並べると菊田さんは視線だけこちらに向けて眉を下げた。
 朝焼けに立つ煙。菊田さんの口元から溢れた息は冷えた空気によって薄っすら白に染まる。匂いに色がついたみたいだ。
 すすっと菊田さんの側に擦り寄って、煙草を持つその腕に絡み付けば庭先で雀が鳴いた。

「可愛いもんだ」
「菊田さん、雀好きなの?」
「いいや。特別好きってわけじゃないな」

 ふっと喉の奥から声が漏れた。からかわれてるのかしら。疑い深く目を細め菊田さんの横顔を見上げたけれど、情けなく緩んだ口元だけが目に入った。
 ああ、その穏やかな目元、それに緩く結ばれた唇だけで、もしかしてと期待してしまう。
 たった一晩寝ただけの仲。それも半ばなし崩しに、私が泣き付いて抱いてもらったようなもの。だというのに、菊田さんはこんなにも穏やかな顔をするの。
 ずるい。ずるいわ。夜の熱を引きずっているのは、私だけなのかしら。腕の筋を指でなぞるたび、身体の奥で弾けた白濁の熱を思い出してしまうの。

 頬を刺す冬の空気に負けじと菊田さんの腕にしがみついた。わずかでも爪痕を残さんと爪を立てるが、その太い腕の前では爪の方が先に折れてしまいそうだ。
 それならいっそ首筋に噛み付いてしまおうか。――なんて、大胆なことを考えた。一晩のうちに燃え上がった恋情は燃え滓にもなれず胸の内で燻っている。この火が菊田さんに燃え移れば、いいのに。
 そんなことを考えていたら、いつの間にか煙草の匂いに包まれていた。煙草を持っていたはずの指は私の顎を掴んでおり、ひどく自然な所作で私の視線を引き上げたのだ。

「はぁ……。いいのか?本気にしちゃうよ?」

 熱っぽい目が告げる。朝焼けに濡れた菊田さんの瞳いっぱいに、素っ頓狂な顔をした私の顔が映っていた。
 あんぐりと開いた口を閉じることも忘れて、こくりと一つ頷いた。なんて間抜けな顔なの!
 やっぱり、ずるいわ。私がどれほど菊田さんに溺れているか知っているくせに。知らぬふりをして初心な目をして私の唇も身体も心も全て、奪ってゆくなんて。

2023/07/22